家族へのカミングアウト編。複雑な家族構成。借金して逃げた母。
こんばんは!
宝です!
今日はタイトル通り家族へのカミングアウト、家族構成について!
まず、僕の家族は、父、母、僕、弟、弟でした。
ちなみに僕は生まれる直前まで男の子って言われてたそう。
そして何故か二番目の弟は生まれる直前まで女の子と言われてたみたい。
自分がお腹の中に忘れた性器が弟についたのでは?笑
とゆー冗談はさておき、こんな感じの5人家族でした!
題名にもありますが、母は逃げます。笑
経緯は、パチンコ依存症。
借金を600万使ってました。
僕が中学校に行って、帰ってきたら荷物ごといなくなってた。
それから父子家庭で育ちました。
そして、高校に入るくらいのころ、お母さんの自己破産が成立し、また一緒に住むことになりました。
高校ではハンドボールをしてインターハイにも出ました。バカ高校だったのでその中では一番頭が良くて、ハンドボールで国体とかにも出ていたので、卒業の時には模範生徒として表彰されました。
高校でのハンドボールの試合は一回もだれもみにきたことがありませんでしたが、卒業式には父が来てくれました。
人生で初めてでした!
その後ハンドボールで大学から呼ばれ、入学することになってたので、入学前から呼ばれ練習に行くことになっていました。
初練習が3月7日でした。午後からの練習を終えて、帰宅後疲れて寝てしまいました。
次の日、午後から練習でした!
起きたとき、母と弟2人は起きてご飯を食べていました。
父は起きていません。仕事のはずなのに。
いつもは6時前に仕事に行っています。
それが何故かその日は寝ていて、しかも母と弟に『起こした?仕事やないと?』って聞いても
『わからん。』って感じで、
僕は、『死んでるんじゃないん?』ってふざけて言ってから起こしに行きました。
揺らしても叩いても起きません。
息をしていませんでした。死後硬直も始まっていました。
救急車に電話して、病院に運ばれて、心臓マッサージをされていましたが、結局帰らぬ人となりました。
通夜、葬式を済ませた後、ぼくたち子供をどこで育てるかっていう話になりました。
なぜなら母は障害を持っているのと、メニエル病を患っていたこと、戸籍上離婚したままだったため、母と暮らすという選択肢はありませんでした。
最終的におばさん(父の姉)に引き取られることになりました。
そこでもうまくいかず、ぼくはすぐに出て行きました。
ひどい扱いを受けました。当たり前です。
それでも兄弟は仲良くやっていました。
そのあと、ぼくが20歳を超えたので、3人で暮らすことになり1年くらい一緒にすんで、そのあとは就職してみんな離れ離れになりました。
母はというと、生活保護を受けて近くで1人で住んでいました。
1ヶ月に一回くらいは会いに行くようにしていました。
前置きというか、家族構成が長くなっていましたが、いよいよ、カミングアウトです!
カミングアウトは全員でご飯を食べに行った時に彼女をつれていきました!
『この子と付き合ってる。
ちっちゃい時から女の子が好きだった。
この子のまえにも中学生の時から彼女が何人かいたんだけど、この子とは、ほんとに結婚を考えてるし、昔から男になりたいと思ってたけど、いつなりたいかとかは考えてなくていつかは手術して戸籍も変えようって思ってた。
それが、今の彼女に会ってから早くしたい!
今すぐとりかかりたいっておもって、ホルモン注射を打ってる。
手術も来年にはするつもり。
理解はしてくれなくてもいいけど、とりあえずこれはなりますってゆー報告だから。』と伝えました。
母は理解できていないようでしたが、
『若い頃お母さんも女の子と付き合ってた時がある。好きなようにしたらいいよ。』と言ってくれました。
とゆーか、逆カミングアウトがありました。笑
弟たちは、わかっていたみたいで
『知ってたよ。俺らに彼女おらんのに。誰か紹介して』って感じでした。
多分、他の同じ境遇の人たちよりすんなりカミングアウトが受け入れられた感じです。
今でもたまにあいますが、声が低くなったこと、ヒゲが生えて来たことなどを凄いって言ってくれます!
今では会う人みんなに説明してます。
もうすっかり声も低いので最初から男としてしか扱われませんが!
名前がまだ女子なので、名前を見られたら終わります。
いまは、子宮の手術代を貯金してるところなので、先に名前を変更するつもりです。
ぼくのカミングアウトはこんな感じでした。
反対は全くと言ってなく、他のブログなどで見るようなカミングアウトの波乱万丈はありませんでした。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます!
文章力がなく分かりにくかったと思います。
申し訳ありません。
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